『霊ナァンテコワクナイヨー』美輪 明宏  2004年/PARCO出版
私は、よく〈お化け〉が出てきた時に、お経を上げて〈引導〉を渡すのですが、幽霊というのは、人のせいにしていることが多いのです。成仏しない霊はほとんどがそうです。何度も言いますが、バカは死ななきゃ直らないというのは嘘です。生きている時に、物わかりが悪くて、頑固で、反省の色のない人というのは、死んでも同じです。同じ状態が続いているのです。ただ、肉体がなくなったというだけのことなのです。人は死ぬ時に想念がそこでストップモーションになります。死ぬときの想念が『あいつに裏切られた、悔しい』というふうになっていると、その想念がエンドレスになって回るのです。死ねば想念の世界にいるのだから、自分の想念が即、自分の住むところとなります。清く正しく美しい心になれば、そのような世界に住むことになり、心次第ではその逆にもなる。”地獄極楽は胸三寸にあり”ということなのです。

〜中略〜

 そういう霊には、こう言い聞かせるのです。  「これからなすべきことがあるでしょう?なぜ過去のことばかりにこだわり、しがみついて振り返るのか?これからのこと、未来のことを考えなさい、

〜中略〜

想念を切り替えなさい。あなたには、これからまだ、ノルマがあるのです。しなければならない義務がたくさんあるのです。これで終わったわけではない。死ねば人生お終いだ、なんて当然ぶらないことです。この世、現世というのは、長生きしてもたかだか百年も生きられない。”ただ一睡の夢ぞかし”と言うけれど、あの世のほうは永いのです。あなたは、自分のふるさとに還ったのだから、これからなのです。あの世での寿命というのは、何千年、何万年と生き続けなければならない。現世というのは、〈旅行先〉〈出張先〉にすぎないのです。自分の本当の故郷に還ったのだから、そこで、自分のすることをよく考えなさい」

『霊ナァンテコワクナイヨー』 美輪 明宏  2004年/PARCO出版】


私が25年間、学んで来た仏法の宇宙観と一致しています。
5年前にも書きましたが、見えない後世を信じるかどうかが、今の生き様につながって来ます。パスカルの「賭け」の理論です。
難しいことは何も無く、死んだ先でもモノゴトの道理は変わらないってことです。この世の道理はあの世の道理。今日の生きざまが明日の自分を決める。それだけのことです。
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『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』



木々を伐採し始めれば、山の斜面は崩れ、海岸線はすべて砂や石に埋まり、姿を消すだろう。
 それでも、伐採しなくても、これらの場所は、全く安全であるとは思えない。下に家屋が立ち並ぶ傾斜面の崩壊は、比較的小さな地震が引き金になって起こらないとも限らない。
 不安を抱かせられる事実。日本の人々が、住んでいる場所全域で、人間が安全であると感じられる場所を探さぬこと。東洋のアトランティス・・・・・・

【『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』A.ソクーロフ・島尾 ミホ・吉増剛造・児島 宏子 (翻訳) 2001年/岩波書店】


奄美大島のある町の町長さんにお会いしました。町長さんに私は「一館も映画館がないではないですか」と言いました。もし映画館が欲しければ映画館はあらわれるでしょう。もしヘリコプターが着陸できる広場が欲しければそれもできるでしょう。大学教育のセンターのようなものが欲しければそれもできるし、すばらしい図書館を望めばそれもきっとできるに違いありません。国も含めて空間というものは人々の思いや願いで成り立っていくのです。

【『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』A.ソクーロフ・島尾 ミホ・吉増剛造・児島 宏子 (翻訳) 2001年/岩波書店】


旧ソ連の多くの芸術家たちは、いま自由の価値を意識しています。自由というのはものすごく大きな義務であり、非常に高いものだということを、ソビエト時代の芸術とは、芸術家たちの生活から仕事から何から、すべて国家が支払うよという形だったのです。全部国家がお金を出すよ、それだったらこの検閲の規範を守りなさい、というようなことです。ですから検閲から自由になるためには国家の支援を拒絶しなければならない。ソルジェニーツィンはそれをやったのです。彼は国家から一銭も受け取らず、そのかわり国家からも要求されないという状況に勝ったのです。

【『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』A.ソクーロフ・島尾 ミホ・吉増剛造・児島 宏子 (翻訳) 2001年/岩波書店】

仕事に関する参考資料として読んだ。
この本は、奄美で撮影されたA.ソクーロフ監督の映画『ドルチェ-優しく』の撮影日記と、A.ソクーロフ・島尾 ミホ・吉増剛造らによる「創造」に関する鼎談等によって成っている。「創造」に関する語らいにおいては興味を引く部分がある。
映画『ドルチェ-優しく』も同時に観たのだが、この映画はソクーロフ自身の極めて個人的な動機に発する『芸術』なのだろう。
この映画を観てエド・ウッドを思い出してしまった。末梢神経を刺激するだけのハリウッド映画に馴らされてしまった人たち(私も含めて)にとっては、きっと眠気を催す退屈な映画にしか見えないのではないか。
『芸術』などという言葉を聞くと、私は気恥ずかしい反面、一種の胡散臭さまで感じてしまうのだがエド・ウッドとソクーロフの違いは、ソクーロフの作品が少なからず『芸術』としての評価を得ている点にある。
にも関わらず、『ドルチェ-優しく』に関しては、やはり私にはソクーロフの思い込みと創造に関する迷いだけが印象に残る映画だった、という思いしかない。 まだまだ自分、修行が足りないって事なのだろうか。

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『アーキペラゴ―群島としての世界へ』今福 龍太・吉増 剛造



社会を導いてゆく一方向の道がわたしたちの前方に疑いなく伸びていて、歩いて行く方角が決められていると考える人がいるとすれば、それは非常にナイーブな幻想にすぎないのではないか。だから「十字路になりなさい」というメッセージは、世界のあらゆる人間にたいして等しく到達できる言葉であるような気がします。

【『アーキペラゴ―群島としての世界へ』今福龍太・吉増剛造 2006年/岩波書店】

文化人類学者の今福龍太と詩人の吉増剛造の対談+往復書簡集。
今かかえている仕事がこの両氏に関わっていて、そのイメージを把握するために読んだ。
初めに今福氏の『群島‐世界論』に手を出したところ、まったくの解読不能であったためその取っ掛かりとして本書を読んだ。
しかし対談者として吉増氏が加わることによってさらに混迷の度は深まる始末で、本を開いては眠りに落ちるの繰り返し。
こういったものが書物として成立するのか?というのが当初の感想。しかも版元は岩波書店だ。
錯綜と睡魔に悩まされながらも何とか読み通し、今福氏のいうところの「群島」「大陸」の概要はつかめたのではないか。
対談者2人が、「要するに」の言葉を避けつつ(ひとつの言葉に押し込めることなく)大きく言いようのない「群島性」「多島海性」の概念を何とかかんとか提示しようとしている。
さしずめ『グローバリズムという鎖からの脱出ショー』とでも言っておこうか。ページも終わりに近くなってようやく、脱出ショーのスリルに気がついた次第。

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『デザインのデザイン』原 研哉 2003年/岩波書店



新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。既に手にしていながらその価値に気づかないでいる膨大な文化の蓄積とともに僕らは生きている。それらを未使用の資源として活用できる能力は、無から有を生み出すのと同様に創造的である。僕らの足下には巨大な鉱脈が手つかずのまま埋もれている。整数に対する小数のように、ものの見方は無限にあり、そのほとんどはまだ発見されていない。それらを目覚めさせ活性させることが「認識を肥やす」ことであり、ものと人間の関係を豊かにすることに繋がる。形や素材の斬新さで驚かせるのではなく、平凡に見える生活の隙間からしなやかで驚くべき発想を次々に取り出す独創性こそデザインである。

【『デザインのデザイン』原 研哉 2003年/岩波書店】


未来のビジョンに関与する立場にある人は「にぎわい」を計画するという発想をそろそろやめた方がいい。「町おこし」などという言葉がかつて言い交わされたことがあるがそういうことで「おこされた」町は無惨である。町はおこされておきるものではない。その魅力はひとえにそのたたずまいである。おこすのではなく、むしろ静けさと成熟に本気で向き合い、それが成就した後にも「情報発信」などしないで、それを森の奥や湯気の向こうにひっそりと置いておけばいい。優れたものは必ず発見される。「たたずまい」とはそのような力であり、それがコミュニケーションの大きな資源となるはずである。

【『デザインのデザイン』原 研哉 2003年/岩波書店】


デザイナーは本来、コミュニケーションの問題を様々なメディアを通したデザインで治療する医師のようなものである。だから頭が痛いからといって「頭痛薬」を求めてくる患者に簡単にそれを手渡してはいけない。診察をするとそこには重大な病気が隠れているかもしれない。時には手術も必要になろう。それを発見し最良の解決策を示すのがデザイナーの役割である。「頭痛薬」を売ることに専念しているデザイナーは安価な頭痛薬が世間に流通すると慌てることになる。

【『デザインのデザイン』原 研哉 2003年/岩波書店】

この書物の中で行われていることは、社会における「デザイン」の再配置である。
しかしそれは本質を見通す確かな視点と洞察力、端的で明快な文章とも相俟って、卓越した「仕事の本質論」でもある。

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『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ルドルフ シュタイナー 2001年/筑摩書房
『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ルドルフ シュタイナー 2001年/筑摩書房


数学において、線分の延長線から答えを導くやり方がある。
シュタイナーが言うところの「超感覚的世界を認識する」ことは、つまりは生死、あるいは成・住・壊・空(じょう じゅう え くう)という物事のありように対して延長線を引く作業だと私は理解している。
300ページに満たないこの本を読むために、どれほどの時間がかかった事か。
「これは天台の円頓止観ではないか?」「要するに直達正観だろ?」と言うのが読後感。
シュタイナー自身に多少の仏教的知識があった、と言うかそれ以上にその発想の根源にインド仏教的思索がある事は間違いない。
その意味で「神秘学」「霊的世界」との翻訳語が日本人に与える誤解は大きい。
「全体認識学」「生命的世界」とでも訳した方が良かったのではないだろうか。
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善悪の彼岸と立川談志

モノゴトは肥大化する。
運用者が人間である限り、保身と欲得の海の中で、モノゴトは本質を離れ、肥大化してゆく。
『赤めだか』の中で立川談春は、自らの前座時代の姿を通して、そのような世間を拒否もせず、かといって飲み込まれるわけでもなく、理不尽を理不尽としてそれが世間だと受容した上で、何とか本質を手放すまいと格闘している、師匠、立川談志の姿を描き出している。
その中の談志は、単純な善悪でモノゴトを語ることはしない。
明快な言葉で本質をワシ掴みにして開示する、稀代の教師としての姿がそこにはある。



人間は寝ちゃいけない状況でも眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。




「先へ、次へと何かをつかもうとする人生を歩まない奴もいる。俺はそれを否定しない。芸人としての姿勢を考えれば正しいとは思わんがな。つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」
「やるなと云ってもやる奴はやる。やれと云ったところでやらん奴はやらん」
 弟子を集めて談志(イエモト)はよくこう語る。そして最後につけ加える。
「まア、ゆっくり生きろ」
 そう云われることに恐怖を感じ、そんなまとめ方で話を終えられる談志(イエモト)に疑問を持った。やらなきゃクビだ。と脅してでも前に進ませるべきではないのか。本当は弟子は皆、上手くなってほしい、売れてほしいと思っているはずで、それが証拠に行動しない弟子達を、
「落語家になった、談志の弟子になれたということで満足している奴等ばかりだ。俺はライセンス屋じゃねェ」
 と云っているのだから。




己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う




いいか、談志(オレ)のところで二ツ目になったということは、他の二ツ目とはモノが違うんだ。それはプライドを持っていい。これからお前達は世の中へ向かって落語を語り込んでゆくんだ。決して落語だけを愛する観客達の趣味の対象になるんじゃねェ





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介護のための備忘録
『わが家流でいい!ほがらか介護』羽成幸子 鳳書院刊 (2011/2)

『わが家流でいい!ほがらか介護』


妻が介護疲れでマイっていた時に、知人が貸してくれた本。

以下、抜粋。

 介護とは、まさに闘いの毎日です。
 「介護と子育てって同じよね」と言う人もいれば、「要するに年を取るって、子どもに戻っていくのよね」と言う人もいます。
 その言葉を聞くたび、内心「何、甘いこと言っているのよ」と反発している自分がいることを感じます。
 「子育て」と「介護」は違います。子どもは日ごとに育ち成長していきますが、老いた人間は日ごとに手助けが必要となります。子育てとは親が命を注ぐことであり、介護は命を削られることだと私は思っています。
 子育ても他者のサポートは必要ですが、介護は自分の命を失うかもしれないほど過酷ですので、一人ではできないという認識が、介護する人、される人、さらには周りの人にも必要とされるのです。

 介護ほど、人の心を読み抜く力が必要なものはありません。
 多くの場合、介護される人は介護者よりも年上です。「お年寄りは子どもと同じなのよね」と言って、車が通ると「ブーブー来ましたよ」などと言う人がいますが、高齢者をどう見ているのかと疑いたくなります。
 お年寄りは子どもと同じではありません。と同時に、弱者でもありません。長い人生を生き抜いて来た強者です。表面的な事柄で幼児扱いしたり、見下したりすることは、人として向き合っていないことになります。
 ――中略ーー
 介護される人の心を読み抜くためには、その人の命を引き受けたという度量も必要なのです。

 ある人が、海外の高齢者のボランティアに行ったところ、受け入れた施設の責任者が、「あなたは、こんな遠くまで来なくても、すぐそばに親御さんがいるでしょう。親御さんの世話をするほうが、ボランティアより立派な行為です」と語ったそうです。
 この言葉に、私はとても感動しました。目の前の、自分のすぐ近くにある現実と向き合うことの重要性を、とかく人は忘れがちです。

 介護上手とは、「介護と同時進行で自分を生きている人」ということではないかと思うのです。テキストにあるような介護技術ではなく、その時、その場に合った自由自在の介護法。それはセンスといってもよいでしょう。センスにはユーモアが必要です。それは余裕にもつながります。ピンチのときにユーモアのあるセンス。これはテキストでは学べません。

 認知症の母親を抱えていた娘さんがいました。ウンチを引き出しにしまったり、手ぬぐいに包んだりする行動に、ほとほと困り果てた娘さんは、母親に向かって思わず、「お母さん死んでよ」と叫びました。
 叫んだ瞬間、娘さんは自分の言葉におののきました。ですが、そのお母さんの切り返しが見事でした。
 「お前も一緒に連れて行く!」
 ーー中略ーー
 私も言うことを聞いてくれない義母に、「おばあちゃんの世話、もう嫌になっちゃった」と言ったことがあります。すると義母はすかさず、「あんた、私だったら三日で逃げ出すよ」と言い返してくれました。この一言で、私の気持ちは一気に晴れました。

 介護は、人間に与えられた最大の修行だと思います。これほど深い修行はありません。言い換えれば、介護は親からもらう最大の財産ではないでしょうか。

 私は義母が寝たきりになった時、義母と相談して、夫の兄弟全員に手紙を書きました。「このたび、あなたのお母さまが寝たきりになりました。つきましては、一日三百円のおしめ代を協力して下さい」ーこうして義母の通帳に振り込んでもらったのです。
 介護に必要なのは義理や体裁ではなく、具体的な援助です。できることを、具体的に、それも責任をもって担ってもらいましょう。助けてもらう側も、好意あるサポートと割り切り、感謝して気持ちよく受けることです。これこそ質の高い介護協力だと思います。

 自分の気持ちを分かってほしいと思って人に話すと、相手からの何気ない一言にも傷つくことがあります。しかし、分かってもらおうと思わないで話せば、話したことで心が軽くなります。
 逆の立場で考えるならば、私たちが介護者の話を聞く際は、聞き役に徹して「聞きっぱなし」でいることが鉄則です。そのためには、重い心を吸い取ってくれる確かな信頼関係が必要です。
 後になってから「あの時の話、どうなったの?」などと尋ねる必要はありません。介護者は話を聞いてもらったことで、気持ちが軽くなっています。「聞きっぱなし」で悩みを聞いてくれる人は、介護者にとってありがたい存在なのです。
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モノのついでに「あの世」づくし
読了 /
『あの世の話』佐藤愛子・江原啓之 文藝春秋社刊 (2001/12)
『愛子とピーコの「あの世とこの世」』佐藤愛子・ピーコ
文藝春秋社刊 (2008/03)

あの世の話
愛子とピーコの「あの世とこの世」


これまで読む必要もないと思っていた2冊。
amazonで安かったので、つい買ってしまった。
結果はその通り、読んでも読まなくても良い2冊。
要するに『あの世の話』において江原啓之のいう事は、すべては生命の波動の強弱であると。
自らの生命を浄化して波動を上げよう、という事だ。
ただ、どうすれば波動が上がるか、については明らかではない。
それについては『愛子とピーコの「あの世とこの世」』の中で、中川昌蔵氏の言葉として「感謝の気持ちを表現する」ことで、波動が上がると語られている。

日本人のいう超娯楽的な「オカルト」とは別の高次な意味で、全体的な「霊性」として「科学的に」人や出来事を捉えて行こうとするのがシュタイナーの方向性ではないかと予想(まだ著作を読んでいない)しているのだけれど、上記2冊に記されている「事実」を、その方向性への検証材料として位置づけていく仕事が必要ではないだろうか。

(佐藤)愛子:一人一人が自分の波動を上げれば、社会の波動が上がって、国の波動も上がるんですよ。政治家を批判しても仕方がない。国民の波動が上がれば、波動の高い政治家が出てくるんです。

【『愛子とピーコの「あの世とこの世」』佐藤愛子・ピーコ 文藝春秋社刊 (2008/03)より】
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読了 / 『シュタイナー入門』小杉英了
シュタイナー思想の形成について、キリスト教史や執筆当時の世界情勢、思想史的背景を努めて「意識的に」検証し、短絡的な「シュタイナー信仰」や批判を排することに意を尽くしている。

すなわち、グノーシスとは、根源的にして直感的な智慧によって、みずからの本質に神が宿っていると認識することにほかならない。透徹した自己認識を通して、本来的自己の神性を直観することがグノーシスである。これは、グノーシスとして現れた西方の如来蔵思想である。

【『シュタイナー入門』小杉英了 筑摩書房刊 (2000/11)より】


 たとえば、戦後教育を受けて大人になった人の多くは、自分の子どもが、学校で仏教の基礎を学んだり、民族文化の神話を学んだりすることを、あまりこころよく思わないだろう。人にもよるだろうが、もちろんそこには、ナショナリズムへの警戒がある。日本の近代史を踏まえれば、無理からぬことだ。
 けれどもその一方で、学校で習う歴史の中で、かなりの部分、正統キリスト教会の正史を鵜呑みにさせられていることに気づかない。十字軍遠征を、イスラームの側から見ることなど思いもよらないし、キリシタン宣教師が日本人信者をあえて殉教させ、それを口実に軍事支配をもくろんでいたことも、またひそかに日本人奴隷を売買していたことも、言及されることはない。また、アメリカの大統領が就任するとき、聖書に手を置いて宣誓するその姿が、どれほど宗教的なものか気づかない。
 大乗仏教とは何であるのか、神道とはどんな由来をもつのか、それらをただ付け足しの文化欄で、おざなりに読み飛ばすのではなく、もっとも基礎的な呼吸法や鎮魂法を、どのような場面でも役に立つ伝統的な心のしずめ方として身につけたなら、麻原彰晃のような人間が教える行法が、どれほど危険で、無意味で、利己的なものか、十代の少年少女にだって見抜けただろうし、突如襲いかかってくる内なる殺意を、自分の心でこらえるための備えともなったろう。

【同著】

シュタイナー入門
『シュタイナー入門』小杉英了 筑摩書房刊 (2000/11)
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読了 / 萱野 茂『アイヌの碑』・『アイヌ歳時記―二風谷のくらしと心』

厳密に言っても言わなくても、歴史や社会とシンクロしない人なんていないのだけれども、それにしても記述された「社会史」の中で、見事にそのテーマにおけるキーマンと交錯し、自らの役割を終える人がいる。
わかりやすく言えば、坂本龍馬などもその典型。
萱野茂も、そんな一人だ。


アイヌの貧しい家に生まれ、祖母がアイヌ語で語るウウェペケレ(アイヌの昔話)を聞きながら育つ。小学校卒業後、造林人夫、山子(木こり)、測量人夫、炭焼きなどを経ながら、アイヌ民具の収集・アイヌ語の記録に努めた。
その過程でアイヌ語研究をしていた金田一京助に認められて研究パートナーとなり、当時まだ朝日新聞の記者であった本多勝一とも知遇を得る。
二風谷アイヌ資料館を創設し、町議会議員、参議院議員を務めた。
故郷、二風谷へのダム建設に強固に反対(いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」)するものの、1997年、二風谷ダムは完成してしまう。しかし同年3月、裁判の結果、アイヌ民族は国の機関としては初めて先住民族として認められた。7月には政府が差別的法律として悪名高かった北海道旧土人保護法を廃止し、アイヌ文化保護を目的としたアイヌ文化振興法が成立する。
そして2006年、79歳で没。


『アイヌの碑』は、萱野が生まれ育った二風谷、アイヌ文化、そして主として萱野みずからの半生についての記述ではあるが、後半まで読み進んだところで、文字には記されていない「アイヌの意思」のようなものがバックボーンとしておもむろに立ち上がってくるのを感じる。
ユングの言う「非因果的連関」を思わせる、キーマンとの飛躍的な出会い、それによってもたらされる結果。
「この人は積層された《アイヌの意思》によって生かされている」そう感じざるを得ない。
「アイヌの意思」の決着とも思える「アイヌ文化振興法」の成立の後、「アイヌ(人間)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」との言葉を残して政界を引退。その後は故郷二風谷にコミュニティFM局などを設立し、使命を終えたかのように療養生活に入り、5年後、療養先の札幌の病院にて没する。
アイヌは言葉を大切にする民族ではあるけれども、この書物そのものよりも萱野自身の生きた痕跡こそが、『アイヌの碑』ではないだろうか。


わたしたちは「旧土人」などではない。わたしたちは北海道、すなわちアイヌ・モシリ(人間の・静かな大地)という「国土」に住んでいた「国民」であったのです。その「国土」に「日本国」の「日本人」が侵略したのです。アイヌ・モシリがアイヌ民族固有の領土であったことは、この地の高い山や大きな川はもちろんのこと、どんな小さな沢でも小さな沼でも、すべてアイヌの言葉で名づけられていることでわかります。

【萱野 茂『アイヌの碑』より】



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